ひとり言

夢/アイデア
夢には 出来たら良いな! から 必ずやるぞ! まで色々あります。 私の場合はふとしたことから考え初めて時間を掛けて段々のめり込んでいくことが多いようです。 夢を実現するのにはアイデアが必要と云われますが、簡単な思いつきという意味でのアイデアという言葉は余り好きでは有りません。 実際 役に立つアイデアは、アスリートが自己記録を超えるときのような突き詰めた努力を必要とすることが多い様に思っています。 趣味で水泳をやっていますが共通する面がありそうです。
進化論
ダーウィンによれば動物は環境に適応する為に進化していくという。
地上を速く走れるもの。 木登りの上手なもの。 羽根を得て空を飛べるようになったもの など すばらしい機能を身につけている。
一方 飛ばなくなった鳥 ほとんど動かなくなった動物 人間による急激な環境の変化についていけずに絶滅していくもの などもある。
人間も動物でありそれなり進化しているのだろうか?
動物と違うのは環境を自分達の都合で勝手に変える能力を持っている。
住みやすい環境を作ってその中に安住しようとして 争い、そして奇妙に進化?する。 それが外部にどのような影響を及ぼすかを考える能力は乏しいのかもしれない。
ちくる
いじめの問題で話題となる"ちくる"と云う言葉。なぜか してはならないこととされている。しかし元々不良仲間のいわゆる俗語であり、まともな小中高生の使うような言葉ではない筈だ。意味は告げ口乃至密告するということであろうがここに疑問がある。
江戸時代命がけで直訴をして農民を助けた人は皆に感謝された。これは一人の悪人が大勢の人を苦しめた状態で起きたことである。一方いじめは大勢の悪が一人を苦しめる状態であり極めて卑劣な行為である。これを告げ口するのは悪なのだろうか?
自然エネルギー
今 自然エネルギーで全発電量の20%を賄うことができるかなどの議論がされている。 原子力廃棄物の処理方法が決まらず、化石燃料の価格はこの40年間で100倍になっているという段階で、このような議論は無意味であろう。 議論しなくてはならないのは、どうしたら全発電量を自然エネルギーで賄えるかである。 核廃棄物の蓄積を何年許容するのか?石油の埋蔵量が何年分有るのか?を見据え 幾許の延命を議論しても意味がない。 人類の生き残りには自然エネルギーの利用は必須条件である。 これが不可能だと云うことは人類の存続も不可能ということと同じと考えなくてはならないのではないだろうか。
多数決の恐怖
先日プルサーマルの件でヤラセがあったとか・・。 何かを進める上で多数意見を集約することは重要なことなのだと思う。  昔、地動説を唱えて投獄されたガリレオさん。 民主主義の基本理念である多数決も自然界の法則までには及ばない。 数学の公式が多数決で決まったりはしない。 原発の安全性を多数決で決めて良いのだろうか。 反対意見を徹底的に排除してきた結果が今回の事故を引き起こした原因では無いのか。 国会のねじれも正に多数決の弊害か? 正か不正かが声の大きさで決まって良いのだろうか? 不安が大きく膨らんでくる。
正義感
今 原発の事故で大変なことが起きている。 組織の中で組織を守るためと云う名目で正当な意見を封じる人、封じられて黙ってしまう人。 電車の中での迷惑行為に目をつぶる人。 犯罪の捜査でも情報の提供が少なく結局犯人が捕まらない。 皆自分に危害が降りかかるのを恐れている。 しかし結果的には大きな危害を受けてしまう。 これらはひとり一人の正義感の欠落がもたらす結果ではないか。 正義感などと云うとすぐに “青い” などと云う人がいる。そんな人がこの重大な結果をもたらす張本人ではないか?
菅さんで本当に良かった
原発事故から1年、当時の東電、政府の対応が少しずつ明らかになりつつあるようだ。事故発生直後からの混乱した情報の中で筋が通った対応をしていたのは吉田所長であった様に感じる。もうひとつ総理大臣が菅さんで本当に良かった。他の誰が東電にベントの指示を出せただろうか?もしこれが行われなかったらどうなっていたのかを考えると背筋が凍る思いがする。過剰介入などと云う意見も有るようだが責任を果たせない人たちがそれを人のせいにする醜い姿であると思う。
骨抜き
どんな法案にも骨抜き専門業者がいるようだ。例外条文などをうまくもぐりこませて結果的には法律の効果がまったく機能しないようにする特別な連中である。そのお陰で世の中はどんどん悪くなる一方。この専門家達も立場上どんどん巧妙になっていく。これまで出来てしまった法律をひとつずつ直すなどとても不可能で対処方法は全く無い。強いて言えば偉い政治家が「例外の適応を厳しくチェックする」ということが出来るかでしょう。
科学技術
最近強く感じることは、企業のトップが新しい科学技術(特に日本生まれの)に対して極めて消極的な評価しか出来なくなっていることです。後ろ向きな判断の積み重ねが現在の日本の状況です。イチローだってバットを振らなければ見逃し三振です。だから、ハヤブサの結果が一般に大きく評価されるのでしょう。自分達の会社では絶対に出来ないので・・。政治家も例の「2番ではダメですか?」以来、原発の安全対策、自然エネルギー利用、将来の展望など、よその国では強く進めていることに目もくれず、ムラに閉じこもって数十年前の話をもっともらしく説明しています。評論家、経済学者も現状否定ばかりでなく、新しい技術に鋭い目を向けてもっと前向きに視点を切り替えるべきではないでしょうか。
オスプレイ
問題になっている安全性についてネット上では色々な意見が飛び交っている。まじめな議論に対して失礼な言葉で揶揄している人たちが多いのが残念だ。国内にはこのような問題に対して正しく回答できるような航空技術者はいないのだろうか?推進装置としてのプロペラをホバリング用に使用すれば不具合が起こるのは当然で、特に急いで着地する為の降下時にはプロペラのねじれは逆向きとなり、中央部から広い範囲で失速するのはあたりまえのことである。航空工学の基礎を見失ったつけをボーイングは金で解決できるのか?
アイデアと云う言葉
このページのテーマでもある“夢”と云う言葉はそれを実現しようとする時 アイデア と云う言葉に繋がることがある。しかし、アイデアと云う言葉はチャラチャラした非現実的なものと見なされることが多い。従ってアイデアマンと云うと言葉も同様に見なされる。発明家もほぼ同じであろう。そして否定される。問題を解決する為には 努力 とともに必ず必要となるアイテムであるがその評価はことの他低い。ソフトウエアーの領域ではソリューションと云う言葉が良く使われる。まじめなアイデアマン、発明家に対する言葉としてソリューションプランナーと云うのはどうだろうか?これに対応する日本語がまだ見つからない。
福井原発再稼働
福井地裁の仮処分に対して異論が報道されている。「裁判官は原発に対する新しい安全基準をより詳しく理解する必要があり、完全なゼロリスクはあり得ない」との主張の様である。確かに一般的なものに関しては完全なゼロリスクはあり得ないかもしれないが原発に関してはそれでは困る。一旦事故が生じた時の災害の大きさがどれほどのものかが計り知れないことは理解しているのだろうか?311から充分学べるはずだ。「完全なゼロリスクはあり得ない」というのは正に開き直りとしか言えない。平易に考えれば保険会社が保険料を決められる状態まで明確にしてほしい。宇宙ロケットの技術力は安全性に基づく保険料によって評価される。保険料が決められない技術の商品価値はゼロである。
個人情報
年金機構での個人情報の漏えい。3人そろって頭を下げる姿はもう見飽きた。専門家の意見は「今後万全を尽くす必要があるが最後は担当者の意識だ」とのこと。そんな事で良いのだろうか?専門家でさえ全く意識が低い。たとえ担当者が故意に漏洩しようとしても漏洩できないようなシステムでなければならないのではないか?そんなものができるかと云う意見もあろうが、できなければやらなければよい。マイナンバー制度など現時点ではまさに犯罪の種をまくようなものであり、全く無謀なことである。ダジャレで燥いでいる大臣は事故が起きた時どうやって責任を取るのか?能率優先で全てをコンピュータに頼っている限りは解決案は無い。どこかにネット接続と個人情報とをオルターネート切り替えによって完全に遮断する複数ステップのインターロックの機能を持つ方式(“システム”とは言わない)が介在しなければならない。
車のフロントグリル
車のフロントグリルはなぜか人の顔に似ているように見える。そお思って見ると最近の車の表情が気になる。特に日本車の表情は、目が吊り上がり、噛みつかれそうな口をしているものが多い。製造方法が優先しているの為か各社良く似ている。高性能を象徴するデザインなのかもしれないがパチンコや戦闘ゲームの主人公のようでどうも好きになれない。競い合うものが違うのではないか。一歩引いて乗り心地の良さとか安全性や品格・格調の高さなどを象徴するデザインにはならないのだろうか?ギンギラが先走っているのはどうも・・・
妻を亡くす
MAC症で妻を亡くした。最初に診断されたのは9年前のことで直ちに命にかかわるものではないとのことで心配はしながらも先に逝かれるとは考えていなかった。昨年から体力の衰えが進み今年に入ってからは急激な衰弱があり、1か月余りの入院の後家に帰って1週間で亡くなってしまった。治療法の確立されていない病気で最後の数か月は必死の看病も空回りだったかと今は悔いるばかりである。フラッシュバックに悩まされ平静の状態に戻れるのはどのくらいの時間がかかるのだろうか?
松葉ボタン
妻を亡くして2か月半 タラレバの繰り返しで妻の苦しかったであろう姿がよみがえるフラッシュバックが今もつ続いているがあきらめの気持ちも芽生え始めている。ふと気がつくと妻がベランダで育てていた鉢植えが全てカラカラになっていた。寝たきりになる前に自分で水をやるから壁に近い手の届く場所に移動してくれるように頼まれた記憶はあるが、その後は鉢植えのことに気を配る余裕もなく1年以上が経過していた。花を育てることにはまったく自信がないので、一番小さな松葉ボタンの鉢を買ってきて食事している場所からと妻の写真の位置から見える場所に吊り下げ水をやった。翌朝 赤と黄色の大きな花が咲いていた。2か月半感じたことのない嬉しさがあった。ありがとう!!


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